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古来わが国有数の鋳物の産地でありました、隣接する桑名市で鋳造されたと伝えられています。この梵鐘は太平洋戦争末期の昭和二〇年、戦需物資として供出の要請をされました。当寺はそれに応え、集荷場として指定された北側の堤防へ運び終えた矢先、終戦を迎え、また現在の鐘楼へ戻すことができたのです。
Published on 2011年7月27日 8:22 PM. カテゴリー: 源盛院について